我孫子の文化

会報 第128号 
平成22年4月1日発行
平成22年4月17日Web掲載

第30会記念文化講演会(予告)
「我孫子の文化を守る会 30周年を祝う」

   守りながら新たな文化の創造を

   講師  山本鉱太郎氏(日本旅のペンクラブ代表、旅行作家、劇作家)
■ 日時 五月二十三日(日)午後2時〜4時
■ 会場 アビスタ・ホール
■ 共催 我孫子市教育委員会
我孫子の文化を守る会 
■ 入場料 会員無料、 非会員300円
(講演要旨)
東葛地方で私が最も興味を持っている町は我孫子です。いわば文化と歴史の宝庫で、三十数年前流山へ引越してきて以来、我孫子には関心を持ちつづけ、我孫子在住の多くの有識をお訪ねし、取材を重ねてきました。今回の講演では、次のことをお話したいと思います。
@凌雲堂医院の松岡文雄さんとの出会い
 柳田国男や松岡鼎、島崎藤村、田山花袋らの思い出
A元郵便局長で脇本陣所有者 小熊勝夫さんとの出会い
小熊甚左衛門や金石文研究家一色勝正、志賀直哉の「和解」、杉村楚人冠の湖畔吟社の話、バーナード・リーチや船頭三造、陶芸家河村蜻山の思い出
B嘉納治五郎と妻の曽祖父坪井玄道
高師創立と講道館、治五郎の甥柳宗悦、白樺派の文人たち、オリンピックのレガッタ、日本の民芸運動
Cなぜ郷土史にのめりこんだのか 崙書房と私
外輪川蒸気船通運丸と「利根川図志」、川三部作と手賀沼研究、旧水戸街道
D流山でふるさと運動を開始
東葛各地の文化運動と連帯、グローバルな視野、Aの会、我孫子の文化を守る会、松戸市談会・・・ 
広く門戸開放、「東葛流山研究」創刊〜二八号、
「会報におどり」
Eニッポン一汚い手賀沼の浄化運動
オペラ「手賀沼讃歌」、オペレッタ「こんぶくろ池のうなぎ姫」公演、北千葉導水、ついにサケは帰って来た
Fこれからの文化運動のあり方、体験から言えること そして私の夢
三十数年前、東京流山へ引越してきた頃、東葛についての私の知識はほぼゼロだったが今では多くの郷土史を出すほどになった。これひとえに先人たちのおかげで有難いことだと感謝しています。
これからも生命のある限り情熱をもって郷土の歴史文化と取組みたいと思っています。
(講師略歴)1929年東京深川木場に生まれる。戦災に遭って栃木県の足利に疎開し、渡良瀬川のほとりに住む。中学4年のとき、カスリーン台風に遭って九死に一生を得る。学生時代より、奥利根に興味をもち、幾たびか訪れる。群馬大学工学部応用化学科卒業後放送作家となり、放送台本を書く傍ら、一時劇団四季の演出部にも所属。「秘湯今神温泉」で紀行文学賞受賞を機に旅行作家となる。
(著書)『新編旧水戸街道繁盛記』『房総の街道繁盛記』『旧水戸街道繁盛記(上、下)』『新・利根川図志(上、下)』など多数
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平成22年度総会

上記講演会に先立ち、同日(5月23日)午後12時30分から同じ会場で平成二十二年度の総会を開催します。今年度の活動を決める重要な場です。 多くの会員の方の参加を期待します。

平成二十二年度事業計画(案)

  1. 総会、文化講演会(五月二十三日)
  2. 史跡文学散歩(六、九、十一、三月予定)
  3. 放談くらぶ(偶数月第1日曜午後)
  4. 文学の広場掲示板への短歌6首掲示(年3回、 1ヶ月間)
  5. 「美しい手賀沼を愛する市民連合会」への参加と 手賀沼ふれあい清掃参加
  6. 飯泉喜雄顕彰碑の紹介・宣伝
  7. 我孫子市の文化財発掘・保護の推進(井上家保存活動の検討)  
  8. 史跡文学散歩案内役後継者養成、記録作成
  9. 小中学生を対象とした郷土文化の啓発活動
  10. 文化活動関係団体との連携協力
  11. プロジェクト活動の活性化
  12. 会員の文化活動の交流推進と新会員の勧誘
  13. 三十周年記念事業計画・実施 
  14. その他役員会で承認した事業 
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ホームページ作成記(2)〜はじめの一歩〜  中根 秀樹

 一昨年、守る会の総会の後の懇親会で吉澤さんから声をかけられました。
「守る会にもホームページ(HP)が必要だ。誰かがやらなきゃいけない。君は若いんだからやりませんか?」
 会のHPがあった方が良いだろうという意見には全く賛成でした。しかし、それを自分が作るとなると話は別です。パソコンの使い方は仕事柄それなりに手慣れては居るものの、ホームページとなると、理屈は分かっていても、作るのは初めてです。その時は、話が出ただけでおしまいになりました。
それから一年たって、今度はプロジェクトの発表会の後の懇親会で再び声がかかりました。
「技術的にはやれば何とかなるだろう。でも、そう簡単じゃあなさそうだな」と思いつつも、「まぁ、一つ挑戦してみるか」と、お引き受けすることにしました。
 「最初から本格的なものを作るのは大変だから、まずは出来る範囲で作ってください」
まだ現役の私を気遣って、藤井会長はこう仰って下さいます。でもそううまくは行かないのですね。一言で説明するのは難しいのですが、今回のように、後から内容が追加されることを前提としたHP作りは、意外に大変なのです。逆に個人のちょっとしたHPなら実に簡単です。
そんなに何が大変かって?それは次回にでも。
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発表の広場   梅の坂    寺田 賢一

 二月初めの寒い日、湯島天神の梅祭りをのぞいた。裏手にある女坂を登る。その前に、あの家がまだあることを確かめる。どんどん古い家が取り壊されてしまうからだ。
 何年か前のこと、久保田万太郎(東京生まれの作家・劇作家で俳人)が住んでいたのは、この辺ではないかと見当を付けた私は近所の人に聞いてみた。やはりそうだった。もう一つ私を喜ばせてくれたのは、近くの古い家に「哥沢(うたざわ)なにがし」と控え目に書いてある表札である。哥沢の師匠の家らしい。哥沢は、小唄や端唄の親類のようなもので、江戸時代の末期にはやったという。
 ある時、私は友人を担いでやろうと思って、手紙の中で「哥沢の師匠も住むか梅の坂」という万太郎の名句があるけれど、と書いた。もちろん私の迷句だ。後で会ったときに、うそがバレて大笑い、という魂胆だったが、まったく反応がない。それもそのはず、今時の人が哥沢を知るはずもなく、私が一人で面白がっていただけだったのだ。    
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我孫子だより45号

「桜あれこれ」    村上  智雅子

お正月の夕暮れ時、手賀沼の遊歩道を自転車で走ったことがあった。
大橋近くの桜並木で、ガタガタと揺れを感じる。よく見ると、桜の根が赤褐色のラバーを押し上げ、波打っていた。まだ堅い蕾の桜が、「老いても負けないぞ」と自らの存在をアッピールしているかのように思えた。これは、地中からの桜の便りである。
 一方、空からの桜の便りもある。二月六日の読売新聞で、宇宙を旅した桜の話が載っていた。平成二十年(二〇〇八年)十一月より全国から集められた十四種類の種が、宇宙飛行士の若田光一さんと共に宇宙ステーションに八ヶ月半も滞在したという。地球に戻った桜は、高知県佐川町では早くも芽を出し、東京の多摩市では、町おこしのため「宇宙(そら)桜育成プロジェクト」なるものが立ち上げられた。いずれも、理科教育、郷土学習、地域交流に活用され、夢を紡いでいる。
 次に街からの桜の便り。今年から桜の開花予想は、気象庁から民間の手に託された。いろいろな点で、今年は桜にとって記念すべき年となるようである。駅中や電車内では、いつになく桜の写真が溢れ、全国各地 のジャストタイムなお花見が、一時に歩きながらにして見られる。これ程もてはやされながら、私たちは桜についてあまり知らないのである。そこで桜の種類について、その名の由来、生物としての桜など、全体として遊歩道の桜から、我孫子の珍しい桜、日本の桜、世界の桜、宇宙を旅した桜にいたるまで、広く愉しくお話ししたい。
 まずは春のひととき、桜について知る喜びを味わい、今咲いているたおやかな桜、そしてどの季節にも雨風に耐え逞しく生き抜いている桜に思いを馳せてみませんか。
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杉山英と血脇守之助」    大井  正義

旧我孫子宿の水戸街道に面して大光寺の参道があり、同寺の境内には大正八年に建立された、明治六年開校の我孫子小学校の初代の先生であった杉山英養老基金記念碑が建っている。碑は、英が老齢のため退職したが、当時の年金は生涯年金ではなかったので、子どもがいなかった英夫妻の老後の生活を心配した教え子たちが、養老基金を集めた記念碑であった。
 碑には一九一人の教え子が五〇銭から、さらに百円を寄付した人が三人刻まれている。我孫子町からも百円を寄付したので千五百二十円もの大金になり、一人平均八円になった。この金額は、今日に単純換算すると一人十万円である。我孫子町からの寄付は超法規行為であったが、記念碑に刻まれているので内密に行ったのではなく、養老基金運動は町ぐるみの運動であった。
 英の教え子に血脇守之助がいた。守之助は現東京歯科大学を建立し、日本で最初に歯科医学を確立した。それ以上に知られているのは、月俸三十五円のとき貸金業から三百円もの大金を借金し、野口英世を渡米させた人である。守之助以外にも、常磐線が開通するについて、我孫子駅の敷地を鉄道会社に寄付して誘致した飯泉喜雄や東京歯科医学専門学校の用務員であり、 守之助に日本で最初の献体を申し出た島根熊吉など多くの勇気ある人を誕生させたのは英一人によるものではなく、 英の父の寺子屋の師匠であった行紘、行紘に寺子屋を開業させた守之助の祖父の栄助によるものであったろう。 このような忘れられた我孫子の人々と、我孫子からみた千葉県の近代教育のあけぼのを考えてみたい。
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第97回史跡文学散歩(報告)
    「楚人冠も住んだ馬込文士村を訪ねる」     美崎 大洋

彼岸を過ぎて1週間経つというのに肌寒い3月28日、9時に我孫子駅改札口に集合した25名は本日の史跡散歩目的地のJR大森駅に向かう。 大森駅南口で一旦集合し、最初の見学地大森貝塚に。大森貝塚を発見したモースは来日して初めて上京した明治10年6月に横浜から東京に向かう汽車の窓からこの貝塚を発見したという。 ビルの狭間に碑が建つ記念の場所には貝殻のかけらもないが、現在、「日本考古学発祥の地」と呼ばれている。
駅前の池上通りを渡り日枝神社に向かう。日枝神社は、山王信仰に基づき比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号で、 山王神社とも呼ぶ。よく結婚式が行われるのは赤坂にある日枝神社だ。たまたま(?)居合わせた宮司からも説明を受けた。 古い道標や日露戦争慰霊碑がある。
大森の町は坂の多い町であると同時に細い道がくねくねとつながっている町でもある。信号も設置しにくいのか殆どない。 その曲がった狭い道を車が走りまわるので危険極まりなく、25名の隊列は離れたりくっついたりで行進した。 「早足」「健脚」で定評のガイド役越岡さんに、ただただついて行ったので、どの道を行ったか思い出せないが、 平成20年5月にオープンした「尾崎士郎記念館」にたどり着いた。 昭和29年に建てられた尾崎士郎の居宅を当時の執筆活動を伝えるために書庫、客間、書斎を再現している。 見学者はガラス越しに眺めるだけだが、特に、机周りの雑然とした状態は当時の雰囲気を伝えているようだ。 豊富な蔵書や原稿用紙、いくつもの徳利や調度品からは、酒と相撲を愛した作家の息づかいまでもが聞こえて来る。
「山王草堂」は尾崎士郎記念からほど近い処、道路を隔てたら品川区という微妙な位置にある。 「国民の友」や「国民新聞」を創刊し、ジャーナリズムの先駆者と言われる徳富蘇峰は、 大正13年この場所に居宅を建てた。大田区はこの旧邸を当時の所有者から譲り受け、蘇峰公園として整備するとともに、 昭和63年には「大田区立山王草堂記念館」として公開した。時間がないため学芸員さんの説明が、 ほんの一部だけに終ったのは勿体なかった。館内には蘇峰と交遊のあった有名人からの書簡が展示されていたが 、蘇峰とも親しかった楚人冠の書簡の展示はない。楚人冠からの書簡の存在の有無を尋ねたが「分かりません」だった。 帰り際、門内で集合写真を一枚(右写真)。

文学散歩記念写真

ところで楚人冠は関東大震災後、家族で我孫子に引越して来たが、その直前の住居は現在の山王2丁目あたりだというので 近くまで行ったが、かつての家は勿論その痕跡もないようだ。大田区に問い合わせしても「楚人冠って?」という反応だったという。
次の見学場所、萬福寺は曹洞宗の寺で、山号は慈眼山、院号は無量院。1192年(建久三年)に梶原景時が源頼朝の命で、 他の場所に建立したが、後、現在の地である馬込へ移築されたという。寺内に史跡や文化財がある古刹である。 ここには胴に源氏の笹竜胆紋をつけた馬の銅像がある。宇治川の戦いで梶原景季が乗った名馬「磨墨(するすみ)」の像だ。 佐々木高綱の「池月(いけづき)」との先陣争いは有名な話である。寺内の墓地に梶原景時の墓とされる五輪塔や日蓮が参籠した際に寄贈した「 鬼子母神」の石像、女性奇術師の初代松旭斉天勝の墓、室生犀星の句碑などもあった。
大正から昭和にかけて多くの文人がこの馬込に住んだが、特に「馬込文士村」と呼ばれるようになったのはこの地で 新婚生活を送った尾崎士郎、宇野千代が文士たちに声を掛けたことが始まりとされるらしい(士郎宅は「馬込放送局」)。 散歩中話題になったのは、多才で知られ後にデザイナー、編集者、実業家の顔も持った当時のモガ・宇野千代だ。 尾崎士郎、東郷青児、北原武夫との結婚遍歴や多くの芸術家との交遊は当日女性参加者の羨望(?)の的だった。 「大田区立郷土博物館」はその宇野女史を始め、尾崎士郎、室生犀星、吉田甲子太郎ら馬込文士村の中心人物、 また吉屋信子、村岡花子ら女性作家、川端龍子、真野紀太郎、川瀬巴水、伊東深水ら画家たちをも紹介していた。
大田区山王の地は、その昔武蔵野国荏原郡新井宿村とよばれ、約300年続いた江戸時代は旗本木原氏の領地だった。 延宝4年その木原家に対し村民は年貢減免を訴えたが受け入れられず、直訴に失敗した村民の墓が、 「新井宿義民六人衆墓」として、善慶寺に建つ。もとは池上通りに面した参道入り口にあったが、 のちに善慶寺の墓所に移設されたという。
大森駅に戻る。本日最後の見学場所は八景坂と天祖神社。天祖神社の急勾配の階段を登る。 かつてはこの高台から大森海岸が見下ろせたのだろう。神社から下るもうひとつの階段の壁に刻まれた文人達のレリーフで 今日のおさらいをする。知識不足に加え、キャパシティの少ない私の頭の中を沢山の文人の名前が走り廻る。盛りだくさんの 情報に多少消化不良気味だったが、知識欲を満足させる史跡文学散歩だった。
田園調布と並ぶ高級な街として今でも人気のある山王だが、かつての大きなお屋敷も時代とともに小さな住宅が建ち並ぶ街へと 変貌した。それでも僅かに残った庭や少ない土地に花を植えたり、鉢植えの花を飾ったりとそれぞれの家がカラフルな街並を 演出していた。散策コースに沿って設置されている文士に関する解説板を巡る合間に見つけた何本かの桜の幹はわずかに 薄桃色の花をつけていた。途中思わぬ処で満開の花をつけていた海棠に咄嗟にカメラを向ける。
   紅色を桜と競うか 花海棠
大森駅で帰りの電車に乗ったのは15時半。同行者の万歩計は15000の数字を映していた。(了)
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学掲示板
 平成二十二年五月展示作品(文学の広場)


                                   
手賀沼の浄化を願ふシンボル像
河童の三体水面に踊る
                      鎌ヶ谷 阿南 昭江

 径にのびし背高き木の根に足とられ
   膝つける我を野良猫(のら)の見ており
                      緑 荒井 洋子

 沼の辺のもろもろの樹の若葉照り
   水中の青葦しづかにゆるる
                    つくし野 有賀 好子

年の瀬の田んぼの中にコウノトリ
   長旅終えてそっと佇む
                      並木 飯高美和子

 緑映ゆる斜面林をば望みつつ
    我振り返る街の来し方
                       都 五十嵐淑郎

 天海と湖面に映ゆる双月の
    間に人界の街の灯光る
                      土浦 生田 誠三
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湖畔六句 「湖畔吟」三十二人一句より   
               佐藤昭市選


                 
梅闌けて水戸の夢殿薄日なか       小坂てる子
                       
春眠の覚めることなき別離かな      相馬 文枝

春愁や大好きな木に会ひに行く      島崎 妙子
 
ためし書き少しに滲みて春の雪     大海かほる
 
そんな気にさせたる春の夜風かな     榎本 谺

桜満開生命科学研究所          渋谷多佳子
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第98回史跡文学散歩(予告)
我孫子宿、我孫子文士村を歩く

 当会は志賀直哉邸跡地保存を達成後、有志達で創立した会です。今年は三十周年を迎えます。
今回の散歩は原点に帰り、先輩達が開拓した史跡文学コースを案内します。
この三十年間に「白樺」の文人ばかりでなく、深田久弥、円地文子、岡野知十、大町桂月、坂西志保など多くの文人がこの地と深く関わっていたことがわかりました。正に「我孫子文士村」と呼ぶことができるでしょう。文人旧居の他に地域の小さな史跡も案内します。
1.日 時 6月13日(日) 9時〜12時頃
   (集合時間)9時
   (集合場所)我孫子駅南口改札口内

2.コース  
大衆キネマ撮影所跡─血脇守之助碑─三樹荘─嘉納治五郎邸跡地─
楚人冠邸(坂西志保、藤蔭静枝)─志賀直哉邸跡─滝井孝作仮寓跡─
子之神大黒天他(小雨決行)
  講師・ガイド  越岡禮子

  参加費  会員 無料、 非会員 500円
  申し込み TEL&FAX 04(7184)2047 越岡まで 
  (締め切り) 6月3日(木)
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今後の行事予定


□ プロジェクト開催予定

「我孫子の歴史と文化を楽しむ」
日時 4月3日(土)10時〜12時(終了後懇親会)
場所 東高野山自治会館|自由参加歓迎|
問合せ先 三谷(七一八三)一〇七七

「百人一首を楽しむ会」第17回
日時 4月23日(金)10時〜12時
場所 アビスタ2階フリースペース

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「放談くらぶ」

日時 4月4日(日)14時〜16時
会場 アビスタ、第4会議室(定員20人)
講師 村上智雅子氏「桜あれこれ」
◎参加費 会員無料 非会員三〇〇円

□ 「放談くらぶ」

日時 6月6日(日)14時〜16時
会場 アビスタ、第5会議室
講師 大井正義氏「杉山英と血脇守之助」
◎参加費 会員無料 非会員三〇〇円

関連団体・友好団体のイベント

ふれあい塾あびこ特選公開講座
「柳宗悦を支えて〜声楽と民藝の母 柳兼子の生涯」
日時 4月19日(月)10時〜11時30分
会場 アビスタ「ホール」
講師 小池静子氏(著述業、声楽家)
参加費 700円 定員100名(申し込み順)
申込み TEL&FAX 04(7183)3603
メール tedasuke@jcom.home.ne.jp(足助哲郎)
主催 NPO法人ふれあい塾あびこ
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年度第6回役員会の報告

日時 3月14日(日)13時半〜於アビスタ第3学習室
(報告・予定事項) 
散歩部会 3月28日史跡散歩「馬込文士村を訪ねる」
   次年度散歩計画「我孫子宿(6月)、三田伊皿子(9月)、信濃町(11月)、湖北(3月)」
手賀沼部会 美手連理事会出席、千葉県郷土史研究会出席
研修部会 2月放談くらぶ「野口英世と血脇守之助」4月「桜あれこれ」6月「杉山英先生と血脇守之助」
広報部会 3月6、7日 市民活動フェアに参加 
 当日は「布佐相島井上家住宅と井上二郎の紹介」の展示とミニセミナー(7日)「我孫子の偉人」「血脇守之助」「SPレコードを聴こう!」を実施した。
入会会員紹介 中島行雄様、青山香様、堤竹孝光様が新たに入会されました。
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