「我孫子の文化」第136号 2012年4月1日発行 Top pageへ

 

第三十二回記念文化講演会   

 

 

 

杉村家資料と

杉村楚人冠の景観保護思想

講師 小林康達氏(我孫子市教育委員会嘱託職員)

■ 日時 5月27日(日)午後2時〜4時

■ 会場 我孫子北近隣センター並木本館(地図参照)

■ 共催 我孫子市教育委員会

我孫子の文化を守る会 

   入場料 会員無料、 非会員300円

(講演要旨)

朝日新聞記者杉村楚人冠が我孫子の別荘白馬城を設けてちょうど100年、昨年11月にはその地に杉村楚人冠記念館がオープンしました。我孫子を愛し、手賀沼の景観保護に努めた楚人冠を振り返って、今後の我孫子と手賀沼について考えてみたいと思います。今年は楚人冠生誕百140年にも当たります。

 今回の講演では、杉村家に残された資料をもとに次のことをお話したいと思います。

 

@杉村楚人冠と杉村家資料の概要について

 まず、楚人冠の主な業績と杉村家に残っている資料の概要についてお話します。

A楚人冠の田園生活志向のこと

 つぎに、当時東京の郊外であった大森への転居とイギリスのレムの里での体験がその後の楚人冠に大きな影響を与えたことについて触れます。

B南方熊楠の自然保護運動を支援

 我孫子に別荘を設ける直前に、同郷の先輩熊楠の神社合祀反対運動を支援しますが、残っている資料からその交流について考えます。

C手賀沼との出会い

 手賀沼との出会いとその直後に直面した干拓問題について見てみます。

D手賀沼景観保護運動

 関東大震災後に一家で我孫子に転居しますが、再び手賀沼干拓計画に直面し、別荘の人々や地元の人々とこの問題に対処していくことになります。楚人冠の景観保護運動について考えてみたいと思います。

 

(講師略歴)

1942年宇都宮市生まれ、東京教育大学で日本史を学ぶ。大学卒業と同時に1966年東葛飾高校を皮切りに、県立松戸高校、我孫子高校など東葛地区で教員生活の大半を送り、我孫子市には1983年に転居、手賀沼汚染が最もひどかった時期かと思います。2000年から杉村家の資料調査、整理に当たり、2005年に市教育委員会発行の『杉村楚人冠関係史料目録』に携わり、また楚人冠の前半生『七花八裂 明治の青年杉村広太郎伝』を著しました。近く後半生の伝記を出す予定。

 

 

平成二十四年度総会

 

上記講演会に先立ち、同日(5月27日)午後12時30分から同じ会場で平成二十四年度の総会を開催します。今年度の活動を決める重要な場です。

多くの会員の方の参加を期待します。

 

平成二十四年度事業計画(案)

 

一、総会、文化講演会(五月二十七日)

二、史跡文学散歩(六、九、十一、三月予定)と新たな史跡ガイドの実施

三、放談くらぶ(原則偶数月第1日曜午後2時〜)

四、文学の広場掲示板への短歌6首掲示(年3回、1ヶ月間)

五、「美しい手賀沼を愛する市民連合会」への参加と活動

六、飯泉喜雄顕彰碑の紹介・宣伝

七、我孫子市の文化財発掘・保護の推進  

八、小中学生を対象とした郷土文化の啓発活動

九、文化活動関係団体との連携協力

十、プロジェクト活動の活性化

十一、会員の文化活動の交流推進と新会員の勧誘

十二、ホームページの充実

十三、杉山英先生の業績顕在化

 

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我孫子市が約9000万円の予算を計上

  井上邸保存と活用

 

 我孫子市の平成24年度一般会計予算が3月定例議会で可決された。歳出の中に当会でもプロジェクトに取り上げ支援活動を続けている井上邸関係費用も含まれている。市では国の有形登録文化財に登録されている井上邸の建物などの寄付を受けると共に敷地などを購入し歴史・文化的遺産として保存し観光資源として活用していく。一方、井上家主宰の相島芸術文化村では2月に新たな組織「NPO法人相島」を誕生させ活動の幅を広げていく方針。

 

関東の建築巡り(第十回)

「風土記の丘 房総のむら」を訪ねる

                       吉田とし子

 

平成23年12月13日、関東の建築巡りプロジェクトは、安食の「県立房総のむら」を訪ねました。

参加者8名は2台の車に分乗し、10時丁度に到着、大木戸を潜ると案内所ではガイドさんが待っておられ、ガイドさんから「この町並みではNHKテレビ放映された「坂の上の雲」や今春からスタートの朝ドラの撮影が行われた」との話を聞いた後、早速江戸の町並みを見学。これ等の町並みは香取市に残る古い町を参考に商家16棟、稲荷神社、地蔵堂、火の見櫓で構成され、当時の様子のまま忠実に再現、25五年前に完成したとのことです。

商家ではその用途に合せ細部にまで工夫が凝らされ、ガラスの無い時代の採光、防火壁、紙問屋では幾度も再生して使われる和紙の特性の説明、実際の楮(こうぞ)も見せて頂き、昨年末開かれた「川瀬巴水展」と重ね合わせ、和紙の素晴らしさを再認識しました。

武家屋敷では武士の身分の違いにより門構え、玄関、間取りの造作が違うことや屋根は茅葺きのため近年は営繕保存は材料、職人等の不足により大変だと伺いました。次に訪れた上総の農家は中二階をもつ特色のある造りで主屋は安政四年に建築され現存する農家を再現したもので、長屋門、土蔵他は江戸末期の建物を再現したそうです。何れもボランティア、職員の活動で守られているとのこと。ここで一旦昼食休憩。

昼食後は風土記の丘資料館へ。古代この辺りは香取の海で海水が流れ込んでいたため貝層が残り、資料館にはその貝層の断面が展示されていました。多くの出土品、滑石の石枕、鉄鏃等とともに装飾品が数多く陳列されていました。中でも龍角寺白鳳仏銅造薬師如来坐像(レプリカ)は印象深いものでした。

次に龍角寺古墳群の北西部に位置する101号古墳と岩屋古墳を見学。

墳丘二十五メートル、高さ約四メートル近い二重周溝付の101号古墳には出土した埴輪263体の武人、男女、馬・鹿・猪等の埴輪が三段墳丘に祀られており、八体の人骨も出土したという。六世紀初頭から七世紀にかけて百年間追葬使用された大変貴重な古墳であり、当時の権力者一族とその眷族の強い結びつきが感じられました。

岩屋古墳は国の史跡で、標高30メートルの香取の海側に向いた谷筋にあり、七世紀後半古墳時代の墳丘としては大和大王墓を凌ぐ東国一の古墳で、芝に覆われた巨大な墳墓は一辺78メートル、高さ13メートルの方墳で推定28000人の人力にて積み上げられたもので、造成に約2年間を費やしたとのことです。石室はこの辺りで採掘された貝化石凝灰質砂岩で天井は筑波の片岩の板石を併用している。

石室の中はアーチ状で貝片が見られ入口附近にも大きな巻貝がそのまま残っていた。

この岩屋古墳は大化の改新以前、重要な役割を担った印旛国造が被葬者ではないかとのガイドさんの話から、熱心に調査し歴史を考察されていることがよく伝わりました。

最後に国の重要文化財に指定されている旧学習院初等科正堂に移動し説明を聞きました。現天皇が学習院に入学された際、講堂新造のため一旦成田市へ移動、その後成田空港建設に伴い、現在の場所へ移されたとのことでした。乃木希典が学習院第十代院長であることから、この建物も「坂の上の雲」のロケにも活用され、現在はコンサート、美術展などにも使用され、正に文化に貢献する活きた文化財といえます。因みに風土記の丘は遺跡及び歴史資料の保存並びに活用を目的として設置された文化庁発案の野外博物館だとのことでした。

今まで幾度か訪れた「房総のむら」でしたが、今回は全く違う場所として映り、また熱心なガイドさんの説明で古代、中世、江戸、明治と脈々と流れた歴史を少しは身近に感じることが出来ました。

帰路立ち寄った龍角寺の案内板には「竜女化来して一夜のうちに諸堂を建立」と書かれています。709年に建立されたというこの寺はその日は人影もなく古色蒼然とした佇まいで永い歴史を経て来た寺の重厚さが伝わってくるようでした。寺の片隅の古い倉の中にはレプリカではなく真の白鳳仏が収められているという。周辺に県内有数の規模を誇る龍角寺古墳群が広がっていることから律令国家後の龍角寺が権威の象徴としての寺であったとのガイドさんの説明に頷ける気がしました。龍角寺を取り囲み幾多の豪族、権力者達の墳墓が築かれたことの意味とその重要さを思いつつ再び二台の車に分乗し帰りの道へと向いました。

好天にも恵まれ、ガイドさんの熱心な説明に江戸の町並みも古墳も生き生きと息づいているようで大変有意義な建築巡りの一日でした。(写真は農家の母屋)

 

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PKO派遣の南スーダンと

激動のアラビアを旅して

世界の人形館 代表  康治

 

「世界を旅して」講演の第2弾は、昨年11月15日〜12月15日に旅行したアフリカと中東の国々に就いて、最新情報を交えた生々しいお話をしたい。

 今回訪れたのは、最新の独立国である南スーダン、野生動物の王国ケニア、不思議の巨大な島国マダガスカル、インド洋のフランス海外県レユニオン、内乱で治安が悪いイエメン、アラビア海に浮かぶ絶海の孤島ソコトラ島、世界の最先端を行く国際リゾートのドバイ(アラブ首長国連邦)の5カ国と2地域(レユニオン、ソコトラ島)である。

 この旅を終え、私が訪問した国・地域は245になり、ある知人たちはギネスに申請してはと勧める。しかし、斯様な気持ちはまったく無く、健康である限り現役のワールドトラベラーとしてひたすら世界の旅を続けたいと念じている。

 今回の旅を思い立った直接の動機は、昨年10月2日に行なった講演会で「世界制覇の証として7月9日に独立したばかりの南スーダンへ近々出かけます」と公言した手前、ぜひ公約を果たしたいと思ったからである。「マニフェストとは守らないためにある?!」の様な

どこかの政権政党と、一緒にしてもらいたくないとの小生なりのプライドがあったからであろう。

 従い、当日の講演は最近PKO派遣で注目されている南スーダンを中心に、2011年1月チュニジアに端を発した「アラブの春」という民主化運動が波及して戒厳状態にあるイエメン、同国の領土で「中東のガラパゴス」と呼ばれるソコトラ島、2008年9月のリーマンショックの余波にも屈せず発展する世界都市ドバイに焦点を当てたい。

 また、これらの国々を回り痛感した日本外交の問題点などにも、極力触れてみたい。もし時間が許せば、ケニア、マダガスカル、レユニオンのアフリカ諸国の現状などに就き、興味津々の報告が出来れば幸甚である。

 この講演前日に後期高齢者の仲間入りをするが、私の果てし無きと思われる外国放浪の旅は、生命とこの世に其処に世界がある限り続ける運命の旅でもあろう。(4ページに高氏の講演会(異文化を学ぶ会プロジェクト)の案内を掲載)

 

弁栄上人

沼南で生まれ、大正の法然といわれた高僧 

村上 智雅子

人は生涯にわたって、いったいどれ程のことを成し得るのでしょうか。この度弁栄上人を調べるにあたって、諸本を繙き諸所諸寺を訪ね歩き、上人の夥しい数の書や仏画、短歌、業績を見聞きして、ただ驚きと畏敬の念を覚えざるを得ませんでした。

弁栄上人が生まれたのは、手賀沼の対岸鷲野谷で、安政六年二月二十日のことでした。ちょうど日本が世界に門戸を開こうとした明治維新の十年程前のこと。沼南の豪農山崎家に長男として生まれ、名を啓之助といいました。まわりは畑と森と坂と沼という起伏の多い自然と信心深い篤実な家庭環境で温和で我慢強い少年に育ちます。一方で本好きで感受性の強い啓之助は十二歳の時、杉林で夕日を拝んでいて空中に三尊像を幻視します。このことは柳田國男が利根町の小川家の屋敷神の玉を見て気を失いそうになった神秘体験と相通じるものがあります。

その頃、啓之助は寺子屋に通って漢籍、仏書を学びますが、時に先生を困らせる程の鋭さを見せ、十五歳になると独学で刻苦勉励し昼は家業の農作に励みます。この勉学の有り様が尋常を越えていて、家業の手伝いの最中に出家への思いが沸々と湧いてきます。或る日手賀沼ひとりで畑の肥料の藻を採っている時、青空に出家の志をしっかり刻んだと弟子の田中木叉師が書いています。その思いは父に伝わり理解を得て二十一歳の時、医王寺にて松戸東漸寺の大康上人によって得度、これより弁栄と命名。大康上人はこの才能豊かな青年を見込んで翌日東漸寺に連れ帰り、特別に宗教者として学問を徹底的に指導します。

ここから弁栄上人の激烈ともいえる修業と学問研鑽が始まり、上人の修学行脚の活動は東京および関東周辺から新潟、九州地方にまでおよび、三十一歳の時はインドの聖地まで足を運びました。このあたりから上人の信仰の視座が広がりを見せています。やがて上人は大乗仏教の根本に戻り、広い光明思想(キリスト教にもドイツ哲学にも通じる)を確立していきました。

しかし弁栄上人は厳しく道を究めるばかりでなく、法然のごとく人々を優しく祈り導き、良寛さんのごとく子供達とアコーディオンを弾きながら唱歌を楽しみました。4月8日の放談くらぶでは、弁栄上人の書と仏画(写真・コピー)も展示して心暖まるエピソードも混じえて立体的にご紹介します。

 

第106回史跡文学散歩のお知らせ

「杉村楚人冠記念館とその周辺を訪ねる」

 

昨年11月、杉村楚人冠記念館が開館されました。記念館はなだらかな斜面に広がる庭園の中に当時の面影を残して建っていますが、館内には楚人冠の業績や人となりを紹介する貴重な資料が展示されています。建物の各所に耐震の工夫があるのは、大森在住時に関東大震災で二人の子息を亡くされた教訓からでしょうか?モダンな台所も見所のひとつです。

今回は駅周辺に残る史跡であまり知られていないエピソードも紹介しましょう。

1.日時 6月17日(日)9時〜(小雨決行)

我孫子駅南口9時集合  12時解散予定

2.コース 山一林組跡─我孫子宿名主邸─本陣跡─問屋跡─血脇守之助生家跡─明治天皇宿泊所─香取神社─大光寺─杉村楚人冠記念館
講師・ガイド  越岡禮子氏(当会副会長)

参加費  会員 無料、 非会員 500円

 別途記念館入館料(300円)が必要

申し込み TEL&FAX (7184)2047      越岡まで (締め切り) 6月10日(日)

 

文学掲示板

 平成二十四年五月展示作品(文学の広場)

 

アビスタに老若男女学びゐて市民の広場と羨ましかり

          取手 木村 和子

 新しきシンボルとして植栽のメタセコイヤの枝々光る

千葉 栗原 義一

 宮様の婚約祝ぐがに新田の水田に飛び来コウノトリ一羽

青山台 栗原 美代

沼見ゆる茶房の窓辺にさす夕日この沼描きし君はいま亡し 

古戸 小池 千代

 白樺の文人達が舟に乗り沼行き交ひし遠き日のわが町

            新木野 小出 礼子

 手賀沼の文学広場は静まりて茂吉の歌碑に鷺の休めり

船戸 小林 近

 

 

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今後の行事予定

  「放談くらぶ」

日時 4月8日(日)14時〜16時
会場 アビスタ第2学習室

講師 村上 智雅子氏(当会役員)

演題「弁栄上人─沼南で生まれ、大正の法然と

いわれた高僧─」

◎参加費 300円(会員無料)先着40名

申込み・問合せ先 田口(7183)4438

 

  プロジェクト開催予定

「異文化を学ぶ会」

日時 4月14日(土)14時〜16時

場所 けやきプラザ(我孫子駅南口すぐ)8階 

第1会議室

講師  康治氏(世界の人形館 代表)

演題 PKO派遣の南スーダンと激動のアラビアを旅して

参加費 300円(会員無料)先着40名

申込み・問合せ先 伊藤(7183)4201

 

「歴史文化くらぶ」

日時 5月5日()14時〜16時

場所 東高野山自治会館(天王台駅歩8分)

話者 折原淳二氏(本会会員)

演題 「明るい高齢社会の構築」

    ─市民による住宅環境改善の活動─

参加費 200円(会員無料)先着20名

申込み・問合せ先 三谷(7183)1077

 

  プロジェクト実施報告

「手賀沼の自然と親しむ」

  3月9日「手賀沼親水広場プラネタリウム」見学

「歴史文化くらぶ」

  3月3日「我孫子地名考」実施

「百人一首を楽しむ会」

  3月23日「第30回」実施

「関東の建築探訪」

  12月13日「第10回房総のむら」(本文参照)

   3月22日「第11回皇居東御苑を巡る」実施

 

懐かしの名作映画ポスター展

第2弾「美空ひばり主演映画」

美空ひばり生誕75周年

昭和レトロ、懐かしの名作映画ポスター展は、昨年9月〜10月に寅さんの「男はつらいよ」シリーズで幕を挙げましたが、第2弾は、「美空ひばり主演映画」のポスター約50作品を、街歩きをしながら見て回ります。

日時 平成24年4月2日(月)〜12日(木)10時〜17時。定休日、時間は会場によって異なります。予め、美空ひばりポスター展マップでご確認ください。マップは、3月中旬より各会場に置いてあります。

会場 「アビシルベ」(我孫子インフォメーションセンター 我孫子駅南口)〜公園坂通りの参加商店

「アビスタ」(我孫子市生涯学習センター)の7会場

料金  無料

主催  あびこ映画倶楽部 我孫子市

後援  我孫子市社会福祉協議会

協力  市民活動各団体有志(「我孫子の文化を

守る会」も協力しています)

運営  懐かしの名作映画ポスター展実行委員会

問合せ 04─7100─0014 アビシルベ

 

◎当会の最近の動き(報告、予定)

新プロジェクト提案

 「杉山英先生の業績の健在化」

散歩部会 

3月31日(土)、第105回史跡文学散歩実施。

手賀沼部会

   2月7日(火)講演@「手賀沼の水生植物の変遷・ガシャモク再生の取り組み」講演A「外来生物の現状」

   1月23日(月)冬鳥とハスを船からみよう

 2月20日(月)第8回手賀沼・印旛沼・根木名川流域懇談会「手賀沼環境整備事業の再評価」

3月1日(木)大津川河口の清掃(ボランティア活動)

3月18日(日)我孫子野鳥を守る会40周年

記念講演会「アホウドリ 絶滅の危機から回復へ」

研修部会 

 2月5日(日)放談くらぶ「杉山英と千葉教育のあけぼの」

次回役員会予定

日時 5月6日(日)13時30分〜16時

場所 けやきプラザ1階工作室

 

編集後記 東日本大震災から1年が経過したが未だ余震が続き、被災地の本格的な復興の見通しも立たない。
ガレキ処理は被災地県以外の住民の協力、理解も必要ではないか
▲楚人冠が我孫子に来て100年になる。昨年開館した楚人冠記念館では企画展を実施中だが、
記念すべき年の当会の文化講演会でも楚人冠をテーマに取り上げる(美崎)

 

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