「志賀直哉と我孫子の人々(その一)」

  −鈴木昇教員が志賀直哉に働きかけ、
 岸田劉生に我孫子の小学校 で「図画教育」の講演をしてもらう
                平林 清江
大正年間我孫子に在住した白樺派の小説家志賀直哉と、
我孫子尋常高等小学校(現我孫子第一小学校)教員との交流について、
調査しまとめましたので、上記の題名を付してお話しします。
我孫子在住白樺派と同校との交流のもう一つの事例については、既に
郷土史家による掘り起こしがなされています。それは、大正六年三月、同校
尋常科の卒業式に、先生方と並び、羽織・袴で威儀を正した志賀直哉と
柳宗悦が列席し、成績優秀な二名の卒業生に、志賀・柳両名名入りの
「漢和大字典」を贈ったという事実です。が、その後、当の辞書の
所在が不明となり、ある白樺派研究者がその所在を調査確定し、
交流の事実及びその意義が再確認され、調査報告書が作成されました。
我孫子柴崎の旧家の親から子に伝えられた重く、古い辞書を眼のあたりにし、
手にとることで、人は交流の事実を認識し、その意味に思いを馳せることが出
来ます。さらに、この研究者によれば、大正六年のみならず、前後の年にも
辞書が贈られたという発展的情報も得ているとのことで、さらなる研究が期待
されるところです。
振り返って、本テーマは、文献資料の解読のみにより、浮上した交流の事実
であり、鈴木昇教員や他の関係者の御遺族に会い、岸田劉生による「図画教育」
の講演開催の事実と、鈴木昇教員をして志賀直哉を動かした熱い思いなどに
ついての、生(ナマ)の証言が得られてはいません。
未だ道半ばの感といえますが、最近、ある図録の中に、「雑誌『白樺』 に掲載された絵画の影響を強く受けた岸田劉生が、大正十年十一月、志賀直哉の紹介で現我孫子第一小学校の招きに応じ、生徒児童の画の展覧会を見、情操教育としての図画について講演したことが逸話として残っている」という記述を発見、これにより意を強くし、今回は中間報告ということで皆様にお伝え致します

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