平成20年7月1日                         第121号

我孫子の文化  

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平成二十年度総会終る
 
本年度の総会は、六月一日(日)、アビスタ二階のミニホールで開催された。今回の総会には、先に案内した「分科会、プロジェクトを立ち上げよう!」の呼びかけ状に会員十七名が参加され役員の十二名を加え二十九名となった。当日は引き続き行われた講演会の参加者(会員外四十八名)を加えると計七十四名という多数の方々が会場を埋め、スケジュールを予定通り消化し、盛況裡に終了した。以下総会の概要。
会の冒頭、三谷会長から「当会は創立以来二十八年の年月を経過したが、総会にこのように多くの会員の出席はなかった。皆様の大きな力で会の新たな出発を試み、さらに五年十年と育てて頂きたい。宜しくお願いします」と挨拶があった。
この後、議事にはいり平成十九年度事業報告、平成二十年度決算および監査報告、平成二十年度事業計画、同予算さらに役員改選時に伴う新役員候補案が議案として提出され、それぞれ承認された。今年度の役員は次の通りとなった。
会長 三谷和夫
副会長 藤井(総務)、伊藤(研修)、越岡(散歩)、
美崎(広報)、宮本(手賀沼) ( )内は部会名
幹事 飯高、黒澤、田口、綱川、戸田、鳴海、村上
監査 若月、吉澤
 
第二十八回文化講演会
総会に引き続き「第二十八回文化講演会」が開催され、主催者を代表して我孫子市教育委員会荒井部長から以下の挨拶があった。「現在、市では景観を守る楽しい街づくりを進めています。ひとつは大正期の貴重な庭園と邸宅である杉村楚人冠邸の保存と活用を図るため取得に向けた手続きを進めています。もうひとつは根戸城跡や古墳とその周辺の緑地の保全、整備です」。

講演「いま千葉の建物が面白い」
講師   中村哲夫氏(グラフィックデザイナー、旅行作家、建築学会会員)
私は現在、柏に住んでいます。東京から千葉に移って参りました。デザイン製作のかたわら旅行が好きで全国の古い町並みを訪ねるようになり、その結果、茨城や流山の友人ができ、そのご縁で三谷会長と知り合い、今回、講演をすることになりました。
□赤煉瓦の千葉刑務所は近代建築遺産
奈良へ旅行した際、遊園地のような建物を発見したが、それは奈良の刑務所だった。その建物を設計したのは山下啓次郎という司法省の技官。当時明治政府は欧米に対し不平等条約の改正を宿願としていたが、欧米側が日本側に裁判権を認めない理由のひとつに監獄(刑務所)の不備があった。山下氏は明治三十四年にヨーロッパを視察して欧州八ヶ国三十ヶ所の刑務所を見学して来てこの千葉刑務所をはじめ、鹿児島、奈良、長崎、金沢の五つの刑務所を建てた。千葉と奈良の刑務所だけが、ほぼ明治の姿で残っており、ネオゴシック様式近代建築遺産として貴重な存在。千葉刑務所は最初千葉市寒川町にあったが、現在の貝塚に移転することが決まり、工事は明治三十四年から開始し五年を予定したが、日露戦争で工期が遅れ、明治四十年に完成した。JR千葉駅バスターミナル9番からバスの乗り県職員能力開発センター入口で下車。正門の両側に円筒形のドームを配した千葉刑務所がある。
□成田新勝寺には江戸期の重要文化財が五棟
 全国に一千万人の信者を持つといわれる霊場成田山新勝寺は天慶三年(九四〇)の開基とされる。山内には現在、仁王門、光明堂、三重塔、釈迦堂、額堂の五棟が重要文化財に指定されている。
○仁王門(国重要文化財)
天保元年(一八三〇)(この年、葛飾北斎が富岳三十六景を描いた)に建てられた三間一戸の八脚門。左側には密迹金剛、右側には那羅延金剛が立つ。この金剛像(仁王)は全身が真っ赤なところから「朱塗りの仁王尊」と呼ばれる。成田山の隣村の城主が大願成就のお礼として仁王像の体を朱色に塗ったという。仁王門に掲げられた提灯は江戸の魚河岸が代々奉納している。
○大本堂
仁王門から急な階段を上りつめると広い境内に至るが正面にあるのが大本堂である。昭和四十五年にコンクリートで建てられた。重層入母屋造りで、設計者は吉田五十八(文化勲章受章者)である。
○三重塔(国重要文化財
大本堂の脇に三重塔がある。高さ二十七メートルの派手な塔である。絢爛豪華というのはこの塔のためにあるような言葉である。正徳二年(一七一二)建立であるから既に三百年近く経っているが、昭和五十七年から五十九年まで塗装修理と屋根の葺き替えや部分修理が行われ、各層の尾垂木を龍とし、柱や長押に地紋彫りを施し、全体を極彩色に塗るなど絢爛な仕上げとなった。一階の壁面の彫刻は名工島村円鉄によるものである。芥川龍之介の紀行文『佐原行』に彼が明治三十六年にここを訪れたことを記している。
○額堂(国重要文化財)
 大本堂裏の石段を上ったところに額堂がある。信徒から奉納された額や絵馬を展示する建物である。ここに奉納された絵馬は質量ともに美術的評価が高く、江戸の有名な絵師(谷文晁、月岡芳年、一勇国芳、歌川豊国など)による作品もある。まさに江戸時代のギャラリー(美術館)であり、往診に行くふりをして絵馬を見物する「絵馬医者」という言葉も生まれた。
○その他
・布佐井上家母屋の一部天井に当時では珍しい「金唐皮紙」が使われている。
・東葛地区の神社の胴羽目には二十四孝(中国において後世の範として孝行が特に優れた人物二十四名を取り上げた話)などが彫られており、教育絵本として活用された。                   (宮本)

   (随筆)
水辺の桜」(その2
若松  村上 智雅子
桜が一番麗しく思えるのは、二、三分咲きの朝である。夜下りた露がしっとり残るような、三月下旬の午前七時頃。人気の少ない遊歩道の桜の下に立つ。そこには、何か地表から立ち昇ってくるような命の息吹が感じられる。見上げるとほんのり濃い目の桜色に染まった蕾、これから膨らもうとしている花びらの水々しさと張りが愛らしい。思わず「希望」という言葉が、口元に浮ぶ。意外とこの時期、天気もよいのである。
 しかし、何故か桜が咲き始めると、冷たい雨が降る。今年も然り。雨が止むと風が吹く。それでも寒かったことが良かったのか、まだ咲き揃わないうちに荒天に会ったのが幸いしたのか、今年の桜は結構長持ちした。
 満開の一日、カメラを片手に手賀沼公園から手賀大橋まで歩いた。葦の間から見える沼を横目に見つつ、振り仰ぐ桜の優しい花影は、いつ見ても今年が一番という思いにさせられる。ここの桜とのつきあいも丁度三十年になる。桜並木も当初より、随分まばらになった。樹勢そのものは大きくなっているので遜色はないが、木の数はかなり減っている。その原因の多くは、防災と環境整備のための開発によるものであった。
まず台風の後の出水を防ぐためポンプ場が作られ、次に低い土手が築かれた。その度に何本かの桜が切られる。遊歩道が今の歩きやすいラバー舗装になる時、実は家の前の六本の桜が切られる運命にあった。偶然、工事の当日居合わせたもので、ただちに時の大井市長に五、六枚の手紙を書いて助命を願った。その結果、道をまっ直にするため切られるはずの桜は残った。道は少し曲げられたが、そこに休憩のための岩が置かれ、かえって風情のある空間となった。公共の税金で賄われる工事、お願いはしてみるものである。
あの時、残された4本の桜は、今私の生活の中にあって大切な存在になっている。机に向ってガラス越しに見上げる桜。玄関を開けると風にそよぐ桜。桜は四季折々姿を変えて、当時五人の子育てと主人の看病に明け暮れていた生活に潤いと力と励ましを与えてくれていた。
しばらくして、平成十三年大学の生涯教育講座で中村輝子先生の「生物学として見たしだれ桜」、「宇宙に旅立つ桜」なる講座を聞いたことがあった。そこで桜にまつわるエピソードや生態や種類についての知識を得て、私の桜とのかかわりはより深いものとなる。日々見る目前の桜だけでなく、広く遊歩道の桜がどうなっているかに関心が及び調べてみた。
そもそも、この遊歩道の桜は、我孫子市の市制発足当初から記念事業のひとつとして、昭和四十五年に企画され、四十七年あたりから漸次植えられていったものといわれる。手賀沼公園から五本松公園までの五キロに亙って桜四百八十本が植えられた。種類はソメイヨシノ三百八十本、八重ザクラ五十本。その後十月ザクラ、大島ザクラ、豆ザクラなど十数本が加えられた。そこで平成十四年の春、現在の桜はどうなっているかを、手賀沼公園から我孫子高校まで限定して調査してみた。大きな地図を片手に一本一本記録しながら歩き、桜マップを作る。内訳は、ソメイヨシノ五十二本、シダレザクラ一本、大島ザクラ二本であった。
あれから六年経った今年、そのマップを持ってあらためて一本一本確めてみた。すると意外にも、それ程減っていないのにほっとする。ソメイヨシノが一本、八重ザクラは二本、大島ザクラ一本が各々落雷や老害で倒れてしまったが、他の桜はまだまだ樹勢を保って、青空に映える沼に沿って、淡い桜色のヴェールを織り成していた。                        (つづく)
 
第89回史跡文学散歩(報告)
湖北の平将門伝説の地を訪ねる
若松 黒澤 里子
 
 三月下旬とはいえ四月中旬の天気。総勢四十数名が九時半に湖北駅北口に集合しました。
湖北の地は平将門が幼少の頃過ごした所といわれており、成田不動尊へは参拝しない、又桔梗の花は植えない等、将門との関わりを多く残している所です。
最初に訪れた中里の「北向き薬師堂」は昭和四十一年に廃院となった宝蔵院の境内に残る仏堂のことです。この中には薬師三尊の他にそれらを守る十二神将もあり平成十八年我孫子市の指定文化財となりました。仏堂の裏には庚申塔や如意輪観音像など多くの石造物があります。
中野治房邸は千葉市の流れをくみ七代目が酒造業をおこし旧中里村の名主や組頭をつとめています。治房氏は十三代目で東大卒、理学博士、東大教授、湖北村々長であり菅井敬之助編集の『湖北村誌』を校閲しています。印象深かったのは塀の一部にかつて地場産業であった瓦を使用していることです。
国道356号線をたどり市役所湖北支所を経て将門の守本尊と伝えられる日秀観音に参りました。曹洞宗で創建は寛文二年(一六六二)といわれています。御本尊は釈迦如来です。この一隅の成田街道沿いには将門調伏の祈祷を行った成田不動に参詣する人を嫌い、将門を敬愛する村民が反意を表わすため、わざと首を曲げた「首まがり地蔵」があります。それから成田線を越え、ひなびた道を「将門の井戸」と「将門神社」へと進みました。「将門の井戸」は現在水も涸れて、ただの穴になっていますが湖北の七ツ井戸のひとつです。承平年間に将門が拓き軍用に供したと伝えられています。ちなみに「湖北七ツ井戸」の一つで岡発戸の八幡神社の下にある「八幡の井戸」は唯一今でも使われています。又、「かまくらみち」と地元では呼ばれている農道が近くを通っています。
将門神社は樹木の茂る参道の奥に今は社殿はなく石殿が祀られています。将門が手賀沼を馬で乗り切り、朝日の昇天を拝した地との伝承があります。
湖北高校内の日秀西遺跡は先土器時代から平安時代までの複合遺跡です。下総国相馬郡の役所(官衙)跡、縄文時代の住居跡八軒、弥生時代の住居二軒、古墳時代の住居一八六軒、奈良平安時代の建物五四軒、掘立柱建物跡から炭化した多くの米粒が出土、倉庫は税(米)の保管場所とも思われます。ここで五分程休み、成田線を又越して新木の葺不合神社へと約二十分歩きました。この神社の祭神はウガヤフキアエズ命で山幸彦で豊玉彦の子です。産室の屋根を葺くのが間に合わずに生まれたのでこのようにいわれるのだそうです。本殿には日本神社の「天岩戸」「八岐大蛇退治」「神武東征」「三韓征伐」など天孫ゆかりの見事な彫刻があります。起伏の多い境内には男の祠、女の祠など興味深いものなどもあります。
予定通り十二時半に見学を終え解散となりました。約半日の道程を越岡氏のわかりやすい説明で楽しく過ごさせていただきました。万歩計は一万一千歩を越えていました。 
 
 
 
一、布佐相島井上住宅の持つ歴史と文化
寿  藤井 吉彌
 
今年3月井上家が文化庁の登録有形文化財に登録されました。江戸時代中期、布佐村に手賀沼開墾、干拓のため入植した井上家は長い苦難の末に実り豊かな相島新田を開拓しました。この歴史とともに歩んだのが井上家住宅です。井上家には干拓の経営に関わる古文書が多数残されており、近年その解読、研究が進み、市史研究誌上等に困苦の歴史が発表されています。
現存する井上家住宅は二番土蔵が嘉永六年(一八五一年)に建てられたのをはじめとし、主屋が万延元年(一八六〇年)、以後新土蔵が昭和六年に建てられる八〇年に亘って新築、改築が繰り返された豪農の屋敷であり、大変よく保存されています。登録有形文化財の登録基準である「造形の規範となっているもの」、「再現することが容易でないもの」が我孫子市に存在することは、市民の誇りであり、同時にその維持に努められている井上家に大いなる敬意を表さなければならないと思います。
今回の登録は9箇所に分けて行われたそうですが、夫々が、建築造形、技術上国民の財産として残すべきものと認定されたと言えます。その一例として最も新しい新土蔵の持つ建築技術上の革新性についてしるします。
十二代当主の井上二郎は農林省の土木技師退官後、布佐に帰り相島新田干拓の仕上げに力を注ぎます。二郎により造られた米倉が今「月光倉」としてギャラリー、コンサートに使われている新土蔵です。昭和時代までに造られたわが国の米倉外壁は伝統技術の土壁(つちかべ)でした。土壁の弱点は風雨に弱いことで、土木技師として豊富な経験をつんでいた当主はその弱点を克服すべく、当時の最新技術で未だ田舎であった相島の地に「土蔵でない蔵」を造りました。井上家の二つの蔵を良く見るとその違いが分かります。
このように井上家住宅には江戸から昭和に至る干拓の歴史とそれを支えた「家」が実物で見事に保存されているといえます。我孫子の宝である井上家住宅を市民皆の力で支えてゆくことが望まれます。
 
 
 
二、世界遺産インドのタージ・マハルを訪ねて
 私は大学で建築を専攻し、その折に学んだ建築史のなかに出てきた様々な名建築の中でもタージ・マハルの荘厳な美しさに打たれ、いつの日か訪ねたいと思いました。五十年間暖めてきたその思いを、今春やっと叶えることができました。
タージ・マハルはムガール帝国第五代皇帝が熱愛した妃のお墓として二十二年の歳月を費やし、一六五三年に完成したとされています。広大な敷地のなかに五十七メートル四方、高さ六十七メートル、四隅に尖塔を持つ白亜の大理石で覆われた廟は三百メートル前にある門を入ると圧倒的な迫力で見るものに迫ってきます。
建物の造形や、装飾が単に芸術的に優れている前に皇帝の亡き妃を悼む深い心根がこのように多くの人を引き付けて止まぬ世界遺産を造らせたと強く感じました。私には半世紀暖めた夢に出会えた至福の時でした。
実物に対面し、優雅さと逞しさを持つ造形力に感心しましたが、細部の高価な貴石や宝石を使った精緻な表現に驚きを深めました。二十二年の歳月と、妃への深い思いこそが、人類史上有数の名建築を造り上げたことが、実感できました。
放談くらぶでは映像でご覧頂きます。またこの旅で見聞した経済発展の加速するインド、IT大国インド、カースト制度などをお話します。
 
 
文学掲示板
平成二十年九月展示作品
(文学の広場、書は綱川タネ子役員による)
                                     
旧き庭の窯跡小高く登りみぬ
辺りに古代の人も住みしと
                     柏市 平田 フサヱ
 子孫まで語り継ぎたし三樹荘の
    祖父の歴史を短歌に留めて
                     柏市 広川 せいら
 大利根の土堤(どて)に蓬の萌え出でて
    姉さん被りに摘む人のあり
                      船橋市 福島 明
 坂道を下れば見えし手賀沼の
    空突くポプラ今も顕(た)ちくる
                    つくし野 福地 公子
 六月の光ひとたば沼の面
    櫂なき舟の水先照らす
                    柏市 藤澤 ひろ子
 年金の暮しに沼は最高と
    老いはクチボソ今し釣り上ぐ
                   つくし野 古内 静江
 
湖畔六句『句集 手賀沼』より
                 
?(えり)の波わづかに見せて蓮世界   早瀬千鶴子
                       
持子釣る少年影絵となる夕べ      比田 誠子
 
女教師が目高の学校掬ひ捕る     光成 敏子
 
嫁がせる日も沼に来ぬかんこ鳥     宮島 敏男
 
造られし川跳んでみる桜桃忌      三輪きよ子
 
沼に来てメタリック車の灼け止まず  湯浅 晴見
          
 
第91回史跡文学散歩
高野山、寿周辺の史跡を訪ねる
      |小林一茶の足跡を中心に
 今年度の散歩のテーマは漂泊の俳人「一茶」です。
一茶は下総の各地に足跡を残しました。松戸、流山、柏、取手、布佐、守谷とゆかりの地に一茶の句碑があります。我孫子市役所内にも一茶の句碑と伝わるものがあります。『名月や江戸のやつらは何知つて』と刻まれています。文化七年の七番日記には高野山の最勝院を訪れた時に詠んだ『桜木や同じ盛りも御膝元』があり、当時大桜があったことが偲ばれています。
文化三年の文化句帖では子の神大黒天を訪れ、神木の大柊を紹介しています。
今回のコースは市民の人達にあまり知られていないエピソードを語りたいと思っています。新鮮なコースですので是非参加して下さい。
日時 9月21日(日)JR天王台駅改札口
     9時集合(小雨決行)
参加費  会員 無料、 非会員 500円
コース 料亭「みどり」跡(「馬酔木」四百号記念吟行会秋桜子宿泊)|最勝院|水神山古墳|香取神社|水の館|一茶句碑|子の神大黒天(富安風生、石田波郷、水原秋桜子吟行。大町桂月来遊。窪田空穂吟行)|旧村川別荘|旧島久別荘(楚人冠に我孫子を紹介した島田久兵衛氏旧別荘)等
 申し込み 〇四(七一八四)二〇四七 越岡まで
 
  
 
今後の行事予定
□「手賀沼流域フォーラム行事」(手賀沼部会主催)
日時・場所 7月27日(日)9時半(アビスタ正面集合)〜志賀直哉邸跡地散策〜白樺文学館の見学、その他
11時半(解散) 役員の一部が協力(ガイド 越岡氏)
対象 原則、一般市民を対象とします
□「放談くらぶ」
日時 8月3日(日) 午後1時〜2時半
    (開始時間・終了時間がいつもと異なります)
場所  アビスタ第3学習室
講師  藤井 吉
一、「布佐相島井上住宅の持つ歴史と文化
  二、「世界遺産インドのタージ・マハルを訪ねて」
参加費 会員無料 非会員三〇〇円
 
□「あびこ楽校生涯学習フェスティバル」参加
 「文化を守る会」は「あびこ楽校協議会」に団体参加・協力しております。当協議会では9月27、28日の両日、アビスタにて生涯学習フェスティバルを開催の予定で、その一環として「文化を守る会」として標記講演会を開催するものです。(兼10月放談くらぶ)
日時 9月28日(日) 午後2時〜4時
場所  アビスタ 第1学習室
講師  蒲田 順一氏
演題 「我孫子はシニアにとってポタリングの天国です」
参加費 会員・非会員とも無料
 
□井上家住宅登録文化財記念第1回「蔵講座」
日時 7月5日(土)12時〜16時
場所 相島芸術文化村(月光倉ギャラリー)
内容 「民家、古建築維持の専門家による
井上住宅および関連の講話」
定員   先着60名
参加費 一、〇〇〇円(相島おにぎり付き)
主催  我孫子市教育委員会 相島芸術文化村
後援  我孫子の文化を守る会
申し込み 〇四(七一八九)二八六四
 
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