現存する建物のうち主屋は、いまから約280年前、4代目井上徳栄が江戸より布佐へ移住した時建てたものを、4代目井上主信が1860年にほぼ同じものに建て直したと伝えられています。 永年にわたり名主の生活の場として使用されてきた各部屋は、夫々目的を持って作られており、民俗資料として貴重な存在です。奥座敷は京都風の書院造りを取り入れております。 正面玄関及び唐破風の屋根は後年京都の著名な尼寺を模して作られました。
水塚の上にある米蔵、以前は3棟有りました。江戸倉は痛みが激しく、現在覆いが架けられています。 昭和倉(月光倉)は一見何の変哲も無い倉に見えますが、昭和6年に井上二郎が精魂を傾けて作り上げたもので、 今に至るも良好な状態を保っております。 当時には珍しいコンクリート仕上げの床、土台、枠組み、塗り壁など十分に観察して下さい。
表門は江戸末期に建てられたもの、裏門は明治初期にたてられました。詳しい年代は不明です。
周りを取り囲む、全長70mに及ぶ屋根塀は明治の初期に作られ、崩れた部分もなく、美しい状態に保たれています。 以上の他、合計9点の建物が平成20年3月に我孫子市に於いて初めて国の「登録有形文化財」に登録されました。