平成21年(2009年)4月1日                        会報 第124号


我孫子の文化

 
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第二十九回文化講演
 
「川柳から見た日本語の魅力」
 
      講師  東葛川柳会代表 江畑哲男氏
■ 日時 五月二十四日(日)午後2時〜4時
■ 会場 アビスタ・ミニホール(2階)
■ 共催 我孫子市教育委員会・我孫子の文化を
守る会 後援:ふれあい塾あびこ
■ 入場料 無料
日本語ブームが続いています。小学校段階での英語教育の導入がもてはやされる一方で、日本語の乱れを憂う声や、母国語の教育の重要性が叫ばれる昨今でもあります。
 川柳ブームも続いています。「○○川柳」という企業の冠を付けたコマーシャル川柳から、文芸性を帯びた本格的な川柳にいたるまで、多様多彩な五七五の表現を目にする機会が増えてきました。従来にもまして、私たちの日常生活のなかに、川柳的な要素が入り込んでいるように思われます。
 そんな折りも折り、この二つのブームの接点を探るお話を、江畑哲男先生にしていただくことになりました。江畑先生は、我孫子市在住。地元の川柳会の代表を務め、県立東葛飾高校の現役の国語教師でもいらっしゃいます。川柳界の事情はあまり存じ上げないのですが、事情通によれば、先生は川柳界の若手のホープとか。(社)全日本川柳協会常任幹事や千葉県川柳作家連盟理事、川柳学会監事等々の要職にあります。また、各地の勉強会の講師等でも引っ張りだこのようです。
 先生によれば、日本語の魅力を、口語短詩型文芸たる川柳を通じて、楽しく・分かりやすく・そして深いお話をしていきたい、ということでした。
 どうぞご期待下さい。
平成二十一年度総会
 
上記講演会に先立ち、同日(5月24日)午後1時から同じ会場で平成二十一年度の総会を開催します。
 今年度の活動を決める重要な場です。
多くの会員の方の参加を期待します。
 
平成二十一年度事業計画(案)
 
一、総会、文化講演会(五月二十四日)
二、史跡文学散歩(六、九、十一、三月予定)
三、放談くらぶ(偶数月第1日曜午後)
四、文学の広場掲示板への短歌6首掲示(年3回、
1ヶ月間)
五、「美しい手賀沼を愛する市民連合会」への参加・
協力
六、飯泉善雄顕彰碑の紹介・宣伝
七、我孫子市の文化財発掘・保護の推進  
八、史跡文学散歩案内役後継者養成、記録作成
九、手賀沼浄化再生・ふれあい清掃参加
十、小中学生を対象とした郷土文化の啓発活動
十一、文化活動関係団体との連携協力
十二、プロジェクト活動の活性化
十三、会員の文化活動の交流推進と新会員の勧誘
十四、三十周年記念事業計画・実施 
十五、その他役員会で承認した事業
市民活動フェアinあびこ2009 に参加出展                                   
2月28日、3月1日両日で開催された掲題のフェアに参加した。我孫子市では、市民活動やコミュニティビジネスなど専門分野も含めて地域での活動は年々幅が広がり、今年は105団体が参加した。当会では毎年このフェアに参加していたが、今回は昨年スタートしたプロジェクトの成果を発表するということから「布佐地区の歴史・文化研究」の成果の一部を展示した。アビスタ2階のフリースペース内のガラスケースに布佐下稲荷に奉納されている本物の絵馬3枚を陳列。来場者は「よくこんなものを持って来られましたね」と驚きつつも興味をもって展示を見学していた。
 
千葉県郷土史研究フォーラムに参加して
 
去る2月7日、千葉県郷土史研究連絡協議会(会長 樋口誠太郎)主催の郷土史研究フォーラムが千葉市中央区のQiball(きぼーる)において開催され、我孫子市からは私たちの会が参加し、宮本、伊藤両役員が出席した。
 本フォーラムに参加した団体は、私たちの会のほか松戸史談会、八千代市郷土歴史研究会、四街道市郷土史研究会、栄町古文書学習会、東庄郷土史研究会、山田郷土史研究会、多古町郷土史研究会、大網白里町郷土史研究会、鴨川市郷土史研究会、富浦郷土文化研究会、至徳堂を知る会、雨城古文書同好会、酒々井町郷土研究会、木更津みち案内人協会の15団体であり、昨年より3団体増えた。
 特別発表として、今回新たに参加した酒々井町郷土研究会と木更津みち案内人協会の2団体から活動状況についての発表があった。前者の酒々井町は本佐倉城跡をはじめ神社仏閣が多く、研究会の会員数も190名の多さを誇っている。教育委員会のバックアップがあるとはいえ、その活動の積極性は注目に値しよう。後者はいわばガイドクラブであるが、アクアライン開通に伴って木更津は観光地化しており、昨年は実に四千六百人余を案内したとのこと。「おもてなしの心を大切に」をモットーに24人の会員が交代で常時待機しているので、遠慮なくお越し下さいと勧められた。
 次に、「郷土史研究団体が目指すもの」の討議に入り、私たちの会からは昨年立ち上げた新しいプロジェクト活動についての説明を行った。
 本フォーラムは情報交換を主体とする研修会的性格のものであるが、今後の活動にとってお互いに参考になることが多く、有意義な会合であったと言える。
  (伊藤記)
   (随筆)
「水辺の桜」(その5
       若松  村上 智雅子
  花開く
 
ふるさとの 形に似たる 冬木立
この句は、約四十年前ワシントンで作った唯ひとつの俳句である。凍て雲のもと、葉を落とした木々のシルエットが、日本の街角や田舎で見た姿と同じように見えて、ほっとしたものである。「侘」「寂」に通じるような、その色調の単純さに妙に心惹かれた。
 あの冬木立の中に共通点を見て、親近感を覚えた若き頃。しかし、今、葉も花もない原型となった木の中にこそ、一本一本違ったその木独特の成り立ちや樹形即ち個別性があることを、この遊歩道の桜に教わることになる。
そういえば、桜をひたすら描いている画家中島千波さんが「桜を描くのに一番大切なことは、幹をどう描くかです」と言っておられた。七、八年前展覧会に行った時、たまたま初日で、中島夫妻が案内して下さるグループに加わる恵みにあずかった。醍醐の桜でも三春の滝桜でも山高神代桜でも、描く時はまず朝から木のもとに立ち、幹から一枚のデッサンを描くと言われた。主幹を描いて、そこから上に右から左に、縦横に走る枝を辿っていくうちに、デッサン紙は数枚に及び、時として十数枚に貼り合わされる。花や葉はその後からついて来るという。私たちが日頃花見をする時の目の動線とは、全く逆である。
 三月のはじめ、花芽が心なし膨らみかけたように思える午後、桜の幹をゆっくり見て歩き、そのことを納得した。真向いて見た桜は、一本真っ直ぐに堂々と聳えている樹形は珍しく、各々に木の来歴を物語っていた。ある木は主幹が倒れ、両脇から太い若木が二本出ている。もとより、四、五本根元から伸びている木立ち性のものもある。又、ある木は主幹が落雷に遭い、真中が空洞化している。横から透けて見える程であるが、見上げる梢には無数の花芽が付いている。主幹の木肌はささくれてゴツゴツしているが、その脇から伸びた細い若木は、艶やかな桜独特の縞模様を現していた。一本の木の中に示された、うねるようないのちの顕(あらわ)れ、空洞の神秘。ふと新川和江の詩の一節が心をよぎった。「木というよりもこれは社(やしろ)である」と。新川さんは巨樹に対してこう洩らしたので、この木の場合は祠(ほこら)ともいうべきだろうか。ただただ畏敬の思いで、しばらくそこに佇んでいた。惑いの多い人間に、何ものかを示しているかのように思えた。
 そういえば、市役所の下の道路沿いに、松の中から桜が生えている木もある。十年前までは、青々とした松の窪みに桜が根を下ろしたという感じであったが、今は胴体だけとなった松の中から桜が顔を出しているという奇妙な共存共栄。たまたま松の上に種を落とした桜が、幾多の風水害、病虫害を乗り越えて生き残った幸運。宇野千代は、「さくらは幸福な花。咲く姿も散る姿もさくらが一番」と言っている。桜は一般に言われるような儚(はかな)い存在ではないのである。たまたま天候の一番不順な季節に、美しい花を咲かせなければならない天命を、聢(しっか)りと生き続けている稀有な花である。特にこの遊歩道の桜は、太陽の光を燦燦と浴びるが、雨風の凄さも諸に被る。
 二、三日前も、夜来の激しい雨風があった。朝、道の上には何本かの枝が落ち散乱していたが、見上げると雨後の澄んだ青空のもと、地表より水蒸気の立ち昇る中、香り立つような褐紫色の色調を帯びた桜の風姿がそこにあった。梢の花芽の先端は、白緑色に膨らみ始めている。やがて花芽は淡紅色の蕾となり、溢れる程の花を咲かせるであろう。葦を透かして見える沼は、凪いでいる。何かを待ち望む息遣いが、そこにある。
               (おわり)
 
『分科会(プロジェクト)活動報告』
 
昨年十月からスタートしたプロジェクトは各プロジェクト毎、所属する会員が主体的に分科会を運営している。「布佐の布佐地区の歴史・文化研究」の研究成果について前述のように「市民活動フェアinあびこ2009」の展示で市民に発表した。ここでは、いくつかのプロジェクトの活動状況について報告したい。
「千葉の建築を観る会」
  
中山法華経寺を訪ねて    飯高 美和子
新年早々の一月二十四日(土)参加者六名はJR総武線「下総中山駅」で下車した。改札の向こうには市川市ガイドの会の古賀さんが赤いジャンパー姿で私達を迎えて下さった。当日は午前中永雨が降って、とても寒かったにも係らず古賀さんの熱心なガイド振りに全員すっかり寒さも忘れ、駅前の銀座商店街を通って京成線踏み切りから総門(黒門)まであっという間でした。
総門から次の仁王門(赤門)までの参道はゆるやかな坂道で両側には大小の寺々が趣を添えながら立ち並んでいる。堂々とした仁王門(赤門)に立つと目の前にこの寺のシンボル的な五重塔(一六二二年本阿弥光悦建立)をはじめ広大な境内に数々の建物が広がっている。祖師堂(日蓮、開祖日常上人はじめ歴代六祖の像を安置)、法華堂(日蓮上人百坐説法を行う)、本行院(僧百人が百日荒行を行う)、聖教殿など二十棟があるという。古賀さんのガイドの中で特に最後の聖教殿の説明はとても心に残るものでした。この石造りで半円塔のインド仏舎利風の建物には中に日蓮上人直筆で後に迫害の原因となる「立正安国論」や日蓮上人と開祖日常上人が取り交わした手紙文などが収蔵されているといいます。建物の辺りの林からは近くの本行院の荒行者達の様子を感じながらも、うっそうとした木立に静寂が漂っていました。
現在の私達の日常生活にあって、ここで行き交う人々の姿を見るにつけ感動に浸ることが出来た一日でした
 
「百人一首を楽しむ会」
                       美崎 大洋
 「百人一首を楽しむ会」では毎月月末の金曜日にアビスタ2階のオープンスペース(第一回目は「こもれび」で開催)に集まり、各自が気に入った歌を数首選択し、解説するという形で進めている。当初、歌を暗記しなければならないのではとプレッシャーを感じていたメンバーもいたようだが、実際には歌を憶えるというより、歌ができた経緯や、当時の時代背景の話が主体ということでひとまずは安心。
三月二十七日(金)は第6回の会合を開催。当日は桜の時期ということもあり、桜が詠みこまれた歌、6首も紹介された。歌の世界では「花」といえば桜のことで、昔から日本人の桜好きを改めて思い知った。
 
 「布佐地区の歴史・文化研究」
                  戸田 七支
布佐には鎌倉時代の伝説が数々残されている。
『吾妻鏡』によれば、石橋山の合戦に敗れた源頼朝は、安房に上陸、鎌倉を目指し市川国府に入り、大井・
隅田の両河を渡る。精兵3万余騎を従え武蔵国に赴くとあります。市川国府に滞在していた頼朝は鎌倉に赴く前に我孫子に立ち寄ったのではないかというのが布佐の鎌倉伝説(または頼朝伝説)である。
 それを裏付けるように我孫子には「頼朝の手植えの松」「子の神神社の頼朝伝説」「千ヶ崎の松」など古くから伝わる場所や史跡ともよばれるようなものも残されている。布佐の小さな神社で最近古い絵馬3枚が見つかった。調べてみると、約150年も前に奉納された、貴重な絵馬ということが分かった。いずれも源頼朝に関係するものである。この絵馬と古くから伝わる鎌倉伝説をつなぎ合わせるとひとつの物語が浮かび上がってくる。
 人から人へと語り継がれながらも、いまや消滅しようとしている伝説を、再びよみがえらさせてみたい。
 
 
 
 白樺派のカレー物語
白樺派のカレー普及会  吉澤 淳一
 
我孫子のまちに「白樺派のカレー」が誕生して2年が経ちました。
誕生に遡ること8年、平成13年に起きた、柳兼子さんのカレーに纏わる「小さなきっかけ」が、やがて「大きな出会い」になって、今日を迎えています。
『小さなきっかけ』 それは雑誌「民藝」(昭和54年8月号)に載った、柳兼子さんの「思い出すままに」の文中にあった、バーナード・リーチの一言でした。この言葉を見つけた郷土史家が、知り合いの食の研究家、石戸さんに伝えたのが始まりです。
 そこから石戸さんの「兼子さんのカレー」再現の長い旅が始まりました。
兼子さんのレシピはありません。石戸さんは、大正初期の家庭料理やカレー事情、当時の我孫子、そして白樺派の文人たちの交友関係、兼子さんの夫柳宗悦の嗜好などを、7年の歳月をかけて研究し試行錯誤を繰り返し、平成19年の春に遂に「兼子さんのカレー」の完成を見たのでした。
『大きな出会い』 平成17年、石戸さんが再現した「兼子さんのカレー」で「まちおこし」をしようという提案が、あるデザインコンペで入賞し、市民グループが立ち上がりました。この市民グループと石戸さんとの出会いが、「白樺派のカレー」の誕生につながっていくのでした。
今では「白樺派のカレー」がお店のメニューに載り、スーパーでは持ち帰り弁当として売り出され、昨年夏からはレトルトカレーが、全国で売られるようになりました。
このようにして「白樺派のカレー」は、市内外で話題となり評価をいただいていますが、これは多くの方々との出会いとご協力によるものです。そして、NHKをはじめマスコミや地域情報紙など多くのメディアに紹介されたことも大きな要因でした。
そして「白樺派のカレー物語」にはまだまだ沢山の秘密があるのです。
 
ピラミッド考エジプトとメキシコ
                菅野 哲哉
 
人工衛星から見える地球上の人工物はエジプトのピラミッドだけ、と日本の宇宙飛行士が語っていました。 万里の長城は見えないが三つ並んだピラミッドはハッキリ見えるとのことです。
4500年も前に古代エジプト人が、なぜ膨大な人数と時間をかけてあの巨大な岩石の山を作り上げたのか、考えれば考えるほど興味は尽きません。宇宙基地、天文台、祭祀用、記念碑、など様々な憶測がなされてきましたが、近年の研究で、ピラミッドは「王の墓」との結論が定着しています。BC2650年頃から約1000年間、王朝の盛衰に伴って大小さまざまなピラミッドが営々と建造されてきました。
現在ナイル川沿いに約90基のピラミッドが点在しています。
18メートル四方のミニピラミッドから、カイロ郊外のギザに聳える三大ピラミッド中最大であるクフ王のピラミッド、一辺230メートル、高さ146メートルの世界最大ピラミッドまで多種多様です。
一方、メキシコやグアテマラなど中米のピラミッドはほとんどが、うっそうとしたジャングルの中に点在しています。メキシコ市郊外に広がる古代都市、ティオティワカン(「神々の場所」)の「太陽のピラミッド」は225メートル四方、4層、高さ63メートルの比較的なだらかな中米最大のピラミッドです。メキシコ南部や東部に紀元5世紀から8世紀ころまで繁栄したマヤ人の都市でもピラミッドが作られ、大規模なものでは天文台や、神殿、大きな球戯場も併設されているのが特徴的です。
きわめて正確な天文観測データにもとづいて祭祀や農業などの日常生活が営まれていました。しかし、部族の移動や王朝の瓦解などが原因で急速に都市機能を喪失し、繁栄を誇った古代都市が密林に埋もれてしまう結果となりました。
私は、エジプト・メキシコ両地域のピラミッド群を見学してきましたが、人類の豊かな創造性と国家の消長に改めて思いを致しております。               




手賀沼アララギ短歌会
 平成二十一年五月展示作品(文学の広場)
                                   
水澄みて長藻ゆらぎしこの沼に
きらめく魚を見しははるけし
                    松戸 細田 雄子
 手賀大橋朝日のなかを高校生
    未来に向う顔あげてくる
                     並木  松原 勝
 わが咄嗟に母を呼びしは我孫子の地
    グラマン急降下の南瓜畑に
                      福井  丸田 信
 葦群に巣ごもる白鳥今年こそ
    雛育てよと声に励ます
                   天王台 三谷 和夫
 鳰(にお)沈み波にひょっこり浮かびでて
    川面にうつる雲に乗りたり
                  印西  三ツ木絹江
 
 とりどりの着物を着たる犬たちの
    朝の公園しばし賑わう
                   若松 三橋 トク
 
          
湖畔六句 「句集 手賀沼」より
                 
人死すも余寒の沼の変らざり      松本 庄一
                       
楚人冠碑に薄日さし蛙鳴く       渡辺 一径
 
玉椿昼と見えてや布施籠         榎本 其角
 
ゆく雁や船傾けて鰻掻く         大場白水郎
 
鶯や畳の上に鍬と餅            小川 芋銭
 
雁の声ちぎれちぎれの雲に入る     笹川 臨風
 

94回史跡文学散歩
鎌ヶ谷を歩く・・・小金牧ゆかりの地を中心に
 
メジャーな史跡ではありませんが、行って、見て、感じて下されば損はない、埋もれた場所だと思います。当会では初めて歩くコースです。
光円寺の石碑は、石が物語るものを感じて下さい。昭和初期の小金・佐倉牧の開墾の厳しい歴史に触れて頂ければ幸いです。小金中野牧込跡は二〇〇六年十一月、国の史跡となりました。他では見られません。楽しみに|。但し、藪の中?貝柄山は谷間ですが、ここにいる動物に注目を。貝塚は目を閉じて昔を想像してください。初富稲荷も開墾の記念。野馬土手がチョッピリ残っています。参道は野田線で分断されてしまいました。郷土資料館で昔を偲びラストの三橋記念館へ。牧士|貴族院議員・三橋家の資産家としての太っ腹を感じます。
時間と天気と元気次第では初富小学校の見事な野馬土手見学もします。お友達も誘って下さい。
日時 6月14日(日)東武柏駅高島屋側改札口前
     9時集合(小雨決行) 12時30分現地解散
参加費  会員 無料、 非会員 500円
コース 光円寺|小金中野牧込跡|貝柄山公園|
中沢貝塚|初富稲荷社|郷土資料館|
三橋記念館
講師  古賀清昭氏
(当会会員・手賀沼ふれあいの会会員)
申し込み 〇四(七一八四)二〇四七 越岡まで
 
今後の行事予定
プロジェクト開催予定
「三谷会長を囲む会」「我孫子の歴史を1から学ぶ」
    合同プロジェクト  |自由参加歓迎|
日時 4月4日(土)10時〜12時(開始時刻に注意)
場所 東高野山自治会館(天王台駅南口より500m南進、小暮橋を渡り右階段を下りて西進
200m)
問合せ先 三谷(七一八三)一〇七七
「百人一首を楽しむ会」第7回
日時 4月24日(金)10時〜12時
場所 アビスタ2階フリースペース
 
「放談くらぶ」
日時  4月5日(日) 14時〜16時
会場  アビスタ第3学習室
講師  @吉澤淳一氏「白樺派のカレー物語」
     A菅野哲哉氏「ピラミッド考|エジプトと
メキシコ」
日時  6月7日(日) 14時〜16時
場所  未定
講師  間宮正光氏「手賀沼周辺の戦国時代」
◎ともに参加費 会員無料 非会員三〇〇円
 
第5回役員会の報告(終了分は一部割愛)
 
日時 3月1日(日)13時より
場所 嘉納別荘跡「洋室」
議題 今後の計画・予定について
1 散歩部会 第94回史跡散歩6月14日 鎌ヶ谷の小金牧 野馬土手
         第95回史跡散歩9月27日 我孫子の新たに設置された史跡
2 研修部会 4月5日(日)14時アビスタ第3会議室「白樺派のカレー物語」、
「ピラミッド考―エジプトとメキシコ」
3 広報部会 市民活動フェア参加(2月28日、1日)
4 プロジェクト 「小中学生に対する教育・啓発活動」生涯学習出前講座に団体名で登録
講座名:「親子で学ぶ我孫子ゆかりの偉人」
「チーム井上」第5回(3月2日)
 柏市で吉田家の保存経過ヒアリング
 
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