我孫子の文化を守る会           会報 第127号     平成22年1月1日 

我孫子の文化

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目次
1.新年のご挨拶
2.新年会のご案内
3.ホームページ作成記
4.プロジェクト活動報告
  .「手賀沼の自然と親しむ会(第5回)」
  .「手賀沼の自然と親しむ会(第6回)」
5.
あびこだより44号 野口英世と血脇守之助
6.第95回 史跡文学散歩 
     我孫子駅周辺の文学史跡などを巡る
7.第96回 史跡文学散歩
  「佐倉を訪ねる」に参加して
8.文学掲示板 平成22年1月展示作品
9.湖畔六句 「湖畔吟」三十二人一句より

新年のご挨拶

会長 藤井 吉彌

あけましておめでとうございます

                 
今年の抱負
 今年は当会の「社会への窓」が開きつつあることを先ず皆様にお知らせします。中根会員の努力によりインターネットに当会のホームページを開設することになりました。これからはホームページを通じ多くの市民との接点ができ、同好の士がより多く集まり、充実した活動への期待が高まります。後段にある関連記事をお読み頂き、是非ホームページをご覧になり、インターネットという素晴らしい道具の使い方をお考えいただきたいと思います。
 昨年から始めたプロジェクト活動が順次動き出し、順調に成長しています。この活動は当会のこれまでの活動に加え、小グループで「文化」という切り口で語れる全ての活動を対象に、「文化」を自らの手で楽しむことを目指しています。
 田口ふみ幹事はひとりで長いこと続けていた手賀沼沿いの早朝散歩を拡大し「手賀沼の自然と親しむ」会を仲間と立ち上げました。四季折々の自然を楽しみ、鳥を追い、花を愛で、短歌を詠い、どっぷり手賀沼漬けになっているようです。
 戸田幹事はこれまでの布佐の歴史の研究延長で、頼朝伝説を様々な伝承、絵馬などから実証しようとされています。稲荷神社に収められていた何の変哲もない3枚の絵馬が鎌倉幕府の歴史をつづる吾妻鏡に書かれた頼朝の下総での行軍経路を想定すると、頼朝をあがめて奉納された絵馬であると読み解きつつあります。巴御前の終焉の地が印西小林との伝承も解明が進むものと思います。
 三谷名誉会長にはこれまでの長い東葛研究を集大成した「我孫子の歴史と文化を楽しむ会」を主宰して頂き我孫子の3万年に亘る歴史を渾身の三谷我孫子史として8回シリーズで語って頂いています。越岡副会長はこれまで聞き書きで貯めた我孫子の昔話を昔娘四人組で完成度を高め、ヌーベル文化賞を取ると張り切っているとか聞き及んでいます。
 市が主催するあびこ楽校フェスティバルへの協賛活動では伊藤副会長が中心となり我孫子ゆかりの偉人を取り上げ、パネル展示をしました。その後アビスタ2階のショウケースに1ヶ月ほど展示されていましたが、多くの市民が、熱心にパネルを読んでいました。感想を聞くと偉人の名前は知っていたが功績の内容はこれを見て初めて分ったという方が大部分でした。我孫子の持つ地元の偉人ポテンシャルの周知に一考させられる経験でした。その後、布佐中学校の文化活動発表会で同じ展示の依頼があり、多くの生徒に見てもらいました。岡田武松がなぜ偉人なのかの理解が進んだと思います。
 放談クラブは成長期に入ってきたようです。間宮正光氏の「手賀沼周辺の戦国時代」では40人収容の会場が一杯で立ち見を御願いせざるを得ない盛況でした。また倉田茂氏の「ラストクラシック」では講師ご自身がCDをかけながらその曲にちなむ有名人の言葉を紹介するユニークな会でしたが、熱心な参加者の質問が続き、大幅に時間延長しました。当会に音楽を深く理解する多くの会員がいらっしゃることを証明した会でした。
 史跡文学散歩は越岡副会長が育てた当会の目玉活動であり今年度も多くの方に参加して頂きました。
 当会は今年4月に創立30周年を迎えます。いくつかの記念行事を予定していますが、恒例の文化講演会は我孫子市と共催で日本を代表する旅行作家、劇作家の山本鉱太郎氏をお迎えし、東葛のスケールの大きな歴史をお話して頂きます。大いにご期待下さい。
 今年も会員みんなで楽しむ文化を皆さんと共に気張らずに、しかし着実に育ててゆきましょう。
参考「我孫子の文化を守る会」のURL
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新年会開催のご案内

1月10日(日)午後4時から「夢庵」若松店で「我孫子の文化を守る会」の新年会を開催します。
例年、新年会は一般会員の方も自由に参加できる会として行っていますので、是非ご参加ください。
詳細については行事案内を参照ください。

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ホームページ作成記 (1) 〜入会〜

                         中根 秀樹
それは2年ほど前のことでした。
「これ、参加してみたら?越岡さんが案内して下さるのなら、きっと面白いと思うわよ」
妻が目の前に差し出したのは「広報あびこ」(イースト情報かも)に掲載されていた「お散歩の会」の予告でした。
妻は友人同士の少人数の会で、越岡さんに案内して頂き、我孫子周辺の寺社を訪ねたことがあります。それは見学した場所の良さだけでなく、越岡さんの博識と人柄とがあいまって強い印象に残る素晴らしい体験だったようで、翌年もお願いしたとのことでした。
「ふ〜ん。じゃあ行ってみようか。ところで、『我孫子の文化を守る会』ってどんな会なの?」「ネットで調べてみたら」と妻。
ところが、いくら探してもホームページらしきものが見あたりません。
「おかしいな。今時、広報あびこに載っているのにネットに何も無いなんて、文化を守る会という割には文化的じゃないな(失礼!)」などと怪しからぬ冗談を言いながら、ファクスで参加を申込みました。湖北から新木にかけて歩いたそのお散歩の会は、妻の言った通り、なかなか楽しいもので、その場で「守る会」へ入会しました。
まさか自分がホームページを立ち上げる役回りになろうなどとは、その時には夢にも思っていませんでした。

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『プロジェクト活動報告』

「手賀沼の自然と親しむ会(第五回)」

平成二十一年六月十二日(金曜日)
                  
田口 ふみ
梅雨の晴れ間の今日は、あやめ公園までの自然に親しむことにした。
遊歩道を歩きながら、もじずり草、とき草の花に親しみ、あやめ公園に着くと、大勢の人が散策していて活気があり、翌日から開催される「あやめ祭り」を待っているようだ。満開の花菖蒲にわれわれも和み、ひとときを過ごした。(この公園の花はすべて花菖蒲とのこと)
さらに近くの半夏生(はんげしょう)の自生している所まで行くことにして、遊歩道を東我孫子方面に歩きつつ沼を見ると、渡り鳥の鴨が二羽、アオサギ、川鵜を観察することができた。その後、半夏生の群生している湿地まで行き、花をつけた半夏生を見ることができた。半夏生の群生している様子を見て感動した「自然に親しむ会」であった。

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「手賀沼の自然と親しむ会(第六回)」
平成二十一年十月十六日(金曜日)
                   田口 ふみ
快晴の秋の日、沼南のふれあい道路を歩き、如意寺などの神社仏閣を見学し、その後手賀沼を見下ろす丘に建つ「祭獺之制底(かわうそのせいち)」というカワウソの供養塔を訪ねた。(文化十四年建立)
このあたりに住んだ男が獺を殺したため若死にしたということで獺の霊を弔うために建てられたという。千葉には珍しい石塔のようだ。沼を見下ろす三叉路に、さびしげに建っていた。
沼南の古い民家が立ち並ぶ間を歩く。途中、赤や黄色のからす瓜の実を写生しようと採る人、道端の野草を摘む人など・・・。今日は手賀沼を見下ろす、心やすらぐ三時間の自然に親しむ歩みだった。
「遊歩道を歩いて」(会員)
  葦群にひそめる小エビ、フナ、タナゴ
   舟すぎゆく音に動きのはやし
                         栗田 律恵
手賀川の川面に集ふ白鳥は
波のまにまに夕光のなか
飯高美和子
手賀沼を一望できる丘の上
はるけき王の古墳あらはる
                    黒澤 里子
  並びたつ杭に止れる五位鷺の
   動くこともなし風吹くなかに
                         田口 ふみ
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あびこだより44
 
「野口英世と血脇守之助」
 ━━ 苦学生の英世をとことん支援した我孫子
生まれの歯科医師・教育家の任侠物語 ━━
 
野口英世を知らない人は、恐らくいないでしょう。世界的に有名な細菌学者であり、
立志伝中の偉人ですから。数年前から千円札の肖像画にも登場していますから、庶
民にもおなじみです。まさに国民的英雄です。
かたや血脇守之助はどうでしょうか。苦学生の英世を物心両面から支え続けた恩師
と伝えられていますが、世間ではそんなに知られていません。我孫子市民でさえ知ら
ない人が多いのではないでしょうか。
これには理由(わけ)がありそうです。血脇守之助が英世を支援した事例を明らかに
すればするほど、英世がいかに金銭的にルーズであり、無頓着であり、そのため恩師
の血脇にどれほど多くの迷惑をかけたかをあぶり出す結果になるからです。そういう負
の一面を国民の前にさらけだすのは困ったことですね。小中学校の教科書にも載って
いる英雄ですから。従って、一般には英世と血脇恩師の関係は、あまり深入りせずごく
あっさりとしか触れられていません。
しかし、これでは私たち我孫子市民としては納得しかねます。「野口英世に対する援
助はいいかげんに止めなさい」とのまわりの忠告にもじっと耐えながら、「いや、あいつは
今にきっと偉くなる」と英世の将来に期待をかけ続け、支援を惜しまなかった血脇守之助
こそ任侠の大人物ではないでしょうか。私たちは、郷土の誇りである血脇守之助の偉大さ
をもっと知ろうではありませんか。

それによって、今まで知られていなかった天才・野口英世の激しい生きざまも甦ってくるのです。

 

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95回史跡文学散歩(報告

我孫子駅周辺の文学史跡などを巡る

郡司 武
日々暮らしている町でも、歩いてみると、いろいろな発見があって楽しいものだ。
明治の鉄道敷設時に当時の住民が抱いた戸惑いや不安、大正の白樺派の文人たちの息吹、戦中戦後の放浪の画家・山下清の足跡……。それらがその時代時代の空気をまとって、立ち現れてくるようだった。


9月27日、日曜日。我孫子駅南口に集合して、山本忠敏さんが講師の「我孫子周辺の史跡文学散歩」に参加した。こうしたイベントへの参加は初めて。
まず駅前広場の一角にある飯泉義雄顕彰碑へ。常磐線は明治29年に開通、5年遅れて成田線が開通したが、その際、用地を無償提供することで我孫子駅を誘致した人だ。県会議員や町長も務めている。
山本さんが、ハンドマイクで説明する。
「当時の町の中心は、現在の駅から少し東にあり、駅の辺りはいわば町外れでした。生糸の工場があって、蒸気機関車の排煙は糸を汚してしまう、と駅は町の中心から離れたところに押しやられたんですね」。全国各地に「鉄道忌避伝説」が残っているが、「我孫子にもそんな空気があったんだ」と、うなずく。
話は駅前の「歩道敷石」にも及ぶ。
「このレンガ、何でできていると思います?」と山本さん。みんなちょっと口ごもっていると、「手賀沼のヘドロなんです。でもちょっと脆いようですね」。廃棄物などの再利用はトレンドだが、脆いのは、ちょっとね。
20人ほどの一行は、ぞろぞろと山本さんに従って弥生軒へ。ここは山下清画伯が働いていたことで有名だ。ちなみに今は、巨大「から揚げそば」で一躍人気になっているようだが。
画伯は全国を放浪する人生を送ったが、どうしたわけか、この我孫子には一定期間、腰を落ち着けたようだ。我孫子と手賀沼の穏やかな風土が、画家の心を癒したのだろうか。弥生軒の弁当の包装紙には、山下清の絵が使われている。
山一林組生糸工場跡に行く。ここには最盛期、380人もの女工さんが働いていたそうだが、結核患者が多発し、何人もの女工さんが亡くなったとか。女工さんたちの結核は当時、各地で大きな問題でもあった。糸埃が肺に悪影響を与えたらしい、と何かで読んだことがある。
さて「散歩」は続き、白樺派の一人で民芸運動の創始者・柳宗悦住居跡、嘉納治五郎別荘跡に寄り、朝日新聞のアサヒグラフを創刊した杉村楚人冠の住んだ楚人冠公園で一休み。秋の穏やかな日差しが、手賀沼や公園の木々に落ちている。
一行は、白樺文学館から志賀直哉住居跡へ。父との確執を抱えていた志賀直哉は、手賀沼の穏やかな風土によって、父との「和解」を得た、との見方もあるようだ。
この日の「散歩」は、一応ここで解散したが、さらに旧村川別荘へ向かう人たちもいた。

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96回史跡文学散歩(報告)

 「佐倉を訪ねる」に参加して 


山崎日出男
 [はじめに]
「我孫子の文化を守る会」には、此れまで非会員として、講演会等には参加していましたがこの度、藤井会長とのご縁で年度後半より入会致しました。
今後とも宜しくお願い致します。
「佐倉」について
広辞苑によれば、千葉県北部の市。成田街道に沿い、元堀田氏の城下町。
酪農、養豚、養鶏が盛ん。国立歴史民俗博物館があると記されている。
市制昭和29年(3万人)現在人口約17万5千人。

私の佐倉に関する知識は、佐倉高校(長島茂雄)、佐倉宗吾郎、歴博位で市内へは、営業で本町や大崎台の顧客へ何度か訪れた程度です。
この度の「史跡文学散歩」で、幕末から明治へ近代日本の夜明けに、佐倉の果たした役割を充分に学習、堪能する事が出来ました。以下、訪問先の順に感想を記します。
1.佐倉高校
講師、財前副会長の案内で京成佐倉駅より国道296号を1km北上、正門前へ。全国の県立名門校が藩校の後身ように、文武両道、知と徳を学んだ雰囲気が感じらました。因みに我が故郷、福岡県にも柳川市の伝習館(立花藩)、久留米市の明善(有馬藩)、福岡市の修猷館(黒田藩)等が在ります。堀田正倫の援助で建設された記念館や鹿山文庫が改修中で見学出来ず  残念でした。
2.佐倉順天堂記念館
「西の長崎 東の佐倉」と称され、明治時代以降、近代日本の医学会をリードする多くの人材を輩出した順天堂の偉業に感服。
(イ)佐藤泰然を招き、蘭学による病院と塾開いた藩主堀田正睦の先見制
(ロ)親族で無く、優秀な弟子を後継者に選んだ事。
(ハ)麻酔を使わず、帝王切開、卵巣癌、乳癌等の手術が行われた技術の高さ。多くの関係資料が展示され、「人体解剖図」や「房事養生訓」 は古文書が読めず誠に残念。
3.旧堀田邸(さくら庭園)
 約3万坪の敷地に驚く。最後の藩主堀田正倫の大名邸宅は御殿造り。
 古風だが以外に質素の感あり。
 農業と学問(教育)を重んじた正倫の人柄偲ばれ、庭園の借景、景石、 植栽等全てに感服。日本の美しさと良さ改めて実感。
4.武家屋敷
 土塁と生垣に囲まれた武家屋敷。河原家、但馬家、武居家、夫々の禄高に応じた、佐倉藩士の住まいは、武家の質素な暮らし振りが感じられ興味深い。庭、畑を大事にしているのは出来る限り自給自足を前提にしての事か。藁屋根に降る雨の音に心和む。
5.佐倉城址公園
 堀田家9代が居城した佐倉城跡の中にあり、緑に囲まれ、紅葉も少し見られ庭園には、日米通商条約締結に奔走し、時代を切り開いた堀田正睦とハリスの銅像あり。
   そこで一首。
  城跡に 歴史拓きし人の像 
並び立ち居て 何を語るや
 小雨降る肌寒い散歩でしたが、37名の参加者は熱心に学習する姿にも感銘を受けました。今回は史跡中心でしたが、佐倉と文学の関わりに就いても学習したいと思います。

 

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文学掲示板
 平成二十二年一月展示作品(文学の広場)

                                   

葦原より穂綿舞い来る小春日に
異国に学ぶ娘(こ)に文を書く
                     若松 村上智雅子
 浮き出でて鯉が重たき息吐けば
   冬の沼面に小さき雛よる
                      若松 村崎 文
 対岸の光りちらちらゆれて居り
   この手賀湖にも水晶宮ありや
                      土浦市 李 秀玲
 八千のランナー集う晴れ舞台
    手賀沼巡る今日菊日和
                      根戸 渡辺 正夫
 坂の下にすれ違ひたるをとめらが
    沼を隔てて小さくなりぬ
                    船戸 相葉比嵯子
 手賀沼に牧水を迎へくれし鷺
    歌に詠まれて今も生きをり
                   並木 青木 正子

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湖畔六句 「湖畔吟」三十二人一句より   
佐藤昭市選

                 

鈍色の沼に網曳く余寒かな        岡崎 俊子

                       

寒鯉の棒の如くに並びけり         加藤 一誠

 

山茶花の風が持ち来る噂かな       別府たか世

 

戸口より沼のひろがる小春かな     増田 湖秋

 

初茜沼羞らひてゐるごとし        森澤 照子

 

木枯らしの吹きあつめたる星の数    千田 明幹


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